軍港として栄えたまち、佐世保の足あとを辿る旅へ
旧海軍の拠点である鎮守府が置かれた横須賀、呉、舞鶴、佐世保の四市が「鎮守府 日本近代化の躍動を体感できるまち」として「日本遺産」に認定されました。佐世保では「凱旋記念館」をはじめ、「針尾送信所」など計27件の施設が登録されています。そんな歴史の足あとが残るスポットの楽しみ方をご紹介します。
鎮守府の概要
「鎮守府」は、旧日本海軍の拠点として、横須賀・呉・舞鶴・佐世保の四カ所に開かれました。「佐世保鎮守府」が開かれたのは1889年。大小の島々が複雑に入り組む九十九島(くじゅうくしま)の海、小高い山々に囲まれた湾口など変化に富んだ地形が選ばれた理由の1つでした。2016年4月には、横須賀・呉・舞鶴とともに旧軍港四市のストーリーとして「日本遺産」に認定。近代日本の躍動を伝えるその歴史が多くの注目を集めることとなりました。各地には、「海軍さん」の足あとが残る貴重な建造物や史跡などが数多く残されています。
「旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館」って?
第一次世界大戦の凱旋記念館として1923年に建設された建物。壁には煉瓦、内部の柱には鉄筋コンクリートが用いられています。妻面を正面に見せた左右対称の外観、1・2階を通した柱、幾何学的な装飾等の西洋的な外観が特徴的です。戦後は米海軍のダンスホール・映画館として使用されていましたが、1977年に返還され、現在は佐世保市民文化ホールとして市民の演劇や音楽活動を行う多目的文化施設に生まれ変わりました。海軍ゆかりの町の象徴として、長年地元の人々に親しまれています。
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莫大な寄付金で建設された
海軍用地の入口付近に建つ記念館としてふさわしい、数々の美しい装飾が施された「旧海軍佐世保凱旋記念館」。建設は「佐世保鎮守府」下の九州・沖縄の12県からの寄付金86,000円によって行われました。この金額は現在の価値でおよそ11億円ほど!煉瓦の外壁と鉄筋コンクリートの内部列柱、そして建物の随所に施された豪華な幾何学的意匠には、当時の最先端技術が結集しています。
日本一を記録した、コンクリート製の三本の塔がそびえる「針尾送信所」
西海橋の近くで異色なインパクトを放つ、コンクリート製の三本の塔。なんとそれぞれの高さは約136mあり、ビルの30階建てに相当します。内部には555段のはしごがあり、戦後は地元の子どもたちの遊び場になっていたそうです。これらの塔は300mの正三角形になるよう配置されており、太平洋戦争の勃発の口火を切った真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」を中継したと伝えられています。1918年から4年の歳月を費やし建設され、自立式電波塔としては古さ日本一。また、第二次世界大戦以前から建つ現存する塔としては日本一の高さを誇っています。「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名称で、国の重要文化財にも指定されています。また、2020年から「電信室」の公開が始まり、整流器室や硫酸を保管していた倉庫、クレーンが残る機械室など1階の一部を見学することができます。
大正からの歴史を刻む現役選手「ジャイアント・カンチレバークレーン」
佐世保の各所から見える大きなハンマーヘッド型クレーン(ジャイアント・カンチレバークレーン)は、なんと100年以上前から現役で稼働しているんです!1913年に、イギリス人の技師による指導のもと竣工され、世界最大級の吊り上げ機能を誇り、海軍工廠の主力クレーンとして活躍しました。国内に3台、世界でも10台しか残っていない貴重性と価値が認められ、「佐世保重工業250トン起重機」として国登録有形文化財に指定されています。そしてまだまだスゴイのは、クレーンを動かしている電動機器も現役だということ!こちらもイギリス製で、操作レバー・メーター・電動機の一部は完成当時のものが使用されています。
まるでUFOのような「丸出山堡塁観測所」
1889年の「佐世保鎮守府」開庁にともない佐世保軍港が発展していく中で誕生した「丸出山堡塁観測所」。佐世保の安全を守るために設置されましたが、一弾も使用されることなく終戦を迎えました。その後は跡地として、「九十九島(くじゅうくしま)」を一望できる隠れた展望スポットになっています。まるでUFOのような「装甲掩蓋(そうこうえんがい)」のフォルムは当時の技術の結晶。眼下に広がる平和な海景色を見守っているかのようにひっそりとたたずんでいます。
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展望台だけじゃない!眼下に九十九島を見下ろす絶景ポイント
佐世保市内には「九十九島(くじゅうくしま)八景」と呼ばれる展望スポットがありますが、それにひけを取らないのが「俵ヶ浦半島」にある「丸出山観測所跡」。見晴らしの良い場所に設置されたとあって、観測所跡は九十九島や愛宕山を望む絶景スポットとして知られています。ちなみに観測所の「装甲掩蓋(そうこうえんがい)」は全国でも2ヶ所しか残されていない貴重なものです。海風を感じながら、地元の人々が手作りした「俵ヶ浦歴史遺産トレイル」を徒歩で巡ってみるのもいいでしょう。
無窮洞
「無窮洞(むきゅうどう)」とは、第二次世界大戦のさなかだった1943年、当時の「宮村国民学校」の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫などが設けてあり、戦時下の時代背景を知ることができます。 当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は終戦までの約2年間続けられたそうです。 美しいアーチを描く天井は、小学生の手によるものとは思えないほど。そんな「無窮洞」を手掛けた一人でもあるガイドさんの説明は一聴の価値あり。市街地からは車で約30分と少し離れますが、ぜひお立ち寄ってみては。
佐世保を支え、国を支えてきた旧海軍の足あとはまだまだ続く
軍港として栄えたまち佐世保のことがもっとわかるスポットはまだまだあります。
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小首堡塁
小首堡塁 「小首堡塁跡」もまた、「丸出山観測所跡」と同様に佐世保を守り続けてきた場所で、一度も砲弾を放つことなくその役割を終えました。俵ヶ浦の山中にひっそりと建つその要塞は、煉瓦と石とコンクリートで造られ、日本の歴史を物語っています。こちらの見学に関しては佐世保市教育委員会へお問合わせを。 -
東山海軍墓地
「佐世保東山海軍墓地 東公園」は、「佐世保鎮守府」が置かれてから太平洋戦争が終わるまでの約60年間に亡くなった海軍将兵17万余柱の霊が祀られています。園内には、海軍を象徴する桜(ソメイヨシノ)が多数植えられており、絶好の花見スポットとしても有名で、年間を通じても多くの参拝者が訪れています。もっと見る -
セイルタワー
1898年、海軍士官の集会所として建築された佐世保水交社の一部を修復し、7階建の新館を増設して誕生した「海上自衛隊佐世保史料館 セイルタワー」。旧海軍や海上自衛隊の歴史や活動などをわかりやすく解説し、艦艇模型や各種史料が展示されています。もっと見る
歴史を体感できるおすすめのツアー
軍港としてさまざまなドラマを刻んできた港まち佐世保を、よりディープに、より楽しく体感できるツアーをご紹介します。
グルメ
史跡をたくさん見て回ったあとは、おいしい「港まちグルメ」をお腹いっぱい味わいましょう!
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レモンステーキ
佐世保名物のなかでも特に人気を誇る「レモンステーキ」は、アメリカのステーキを日本人向けにアレンジしたもの。薄い牛肉がアツアツの鉄板でジュージューと音を立てながら運ばれてくるようすに思わず食欲がMAXに♪レモン果汁たっぷりの和風ソースを絡めて、白ご飯といっしょに頬張って。もっと見る -
海軍さんのビーフシチュー
東郷平八郎(佐世保鎮守府第7代司令長官)が、留学先のイギリスで食べた「ビーフシチュー」の味が忘れられず、帰国後、艦上食として作らせようとしたというストーリーが由来に。そのレシピが佐世保の各店でアレンジされ、「海軍さんのビーフシチュー」として個性のある味わいが生み出されています。ホテルレストランや老舗洋食店などで、牛骨スープやデミグラスソース、牛すね肉など、ベースもさまざまに工夫されています。ぜひ食べ比べてみてほしい逸品です。もっと見る
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自衛隊グルメ
“金曜日はカレー”のフレーズでもおなじみの自衛隊カレー。「海上自衛隊」、「陸上自衛隊」、「海上保安部」のカレーを市内飲食店がレシピを元に再現し、「自衛隊グルメ」として提供しています。「護衛艦いせ」や「護衛艦はるさめ」など、素材や調理方法にとことんこだわったカレー全24種類が、市内の各飲食店で味わうことができます。もっと見る -
入港ぜんざい
旧日本海軍時代、母港に帰港する前夜に船中で振る舞われていたと言われている「ぜんざい」。それは、船員たちの疲れを癒すとともに、無事に帰還できたことを祝う意味が込められており、その習慣は現在の「海上自衛隊」にも受け継がれています。佐世保市内の飲食店では「海軍さんの入港ぜんざい」として提供中。ほくほく小豆にお餅はもちろん、白玉入りやたい焼き入りなど各店それぞれに個性があり、甘さもさまざま。夏にはひんやり冷製タイプも楽しめます。もっと見る
お土産
「海軍さん」ゆかりのまち・佐世保の歴史がつまったお土産は、グルメからグッズまでとってもバリエーション豊富!すべてコンプリートしてみては♪
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ビーフカレー
「GC1(護衛艦カレーグランプリ)」でグランプリとなった護衛艦のカレーを商品化。佐世保ならではのお土産です。