キリスト教信仰の歴史とドラマを伝える2つの集落
佐世保市の「黒島集落」と小値賀の「野崎集落」は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されています。
信仰を守り続け現代へとつないでいった人々の歴史を物語る12の構成資産のひとつです。
花群れる祈りの島、黒島「黒島の集落」
相浦桟橋からフェリーで約50分。「九十九島(くじゅうくしま)」のひとつである「黒島」は、数ある島々のなかでも最大面積の有人島です。江戸時代後期、多くの潜伏キリシタンが渡ってきたという歴史と人々が織りなしてきたドラマは深く、現在も島の人口約8割がカトリック信者。潜伏キリシタンの子孫たちが今もこの島の文化や自然を守り、信仰とともに生きる暮らしを丁寧に受け継いでいます。そんな潜伏キリシタンの貴重な歴史とその足あとを伝える「黒島」は、「黒島の集落」として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されました。
信仰のシンボル黒島天主堂
「黒島の集落」のシンボルとなっている「黒島天主堂」は1902年に建てられました。フランス人マルマン神父の設計と指導のもと、カトリック信徒の献金と労働奉仕で2年の歳月を経て完成。使用された40万個のレンガの一部は島内で焼かれ、土台には黒島で採掘された御影石が使われています。祭壇の床には有田焼のタイルが貼られ、ステンドグラスやフランス製の聖鐘は建設当初から使われてきたものです。明治期のレンガ造の教会としては規模が大きく、外観の意匠は簡素なロマネスク様式、リブ・ヴォールトの天井は完成の域に達したとされ、その後の周辺の教会建築に大きな影響を与えました。
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黒島天主堂
もっと見る1902年に、フランス人マルマン神父の指導のもと、島民たちによって2年の歳月をかけ建てられました。教会の外観は簡素なロマネスク様式で、「黒島」で焼かれたレンガも使用されています。内観はリブ・ヴォールトの天井やステンドグラスがとても綺麗です。見学も可能(要事前申込)。
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信仰復活の地(旧出口邸)
もっと見る「黒島」の潜伏キリシタンの歴史の上で最も重要な地とされているのが、信仰復活の地とされている「旧出口邸」です。江戸時代後期、「黒島」に移り住むようになった潜伏キリシタン達は約80年もの間、独自に信仰を守り続けていました。1864年に長崎に大浦天主堂が建てられ、ローマから遣わされた神父達がいることを聞きつけた出口吉太夫・大吉親子は、命がけで長崎に渡り宣教師達に会い、黒島に600人の隠れキリシタンが潜伏している状況を報告。その後、黒島のキリシタンは、続々とカトリックに復活しました。外国人神父も来島し、1872年、出口邸で島でのミサが初めて行われたのです。
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マルマン神父の墓(カトリック共同墓地)
もっと見る最初に下五島の担当として赴任したマルマン神父は、貧困の犠牲となる子どもの養育事業などに奮闘し、その後伊王島、奄美大島、琉球を経て、1897年、黒島に赴任しました。独自の建築技術をもって、初代の堂崎教会堂など各地の教会堂を建設。一時フランスへ帰国しましたが終生を黒島で過ごし、1912年に逝去しました。
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根谷の大サザンカ
もっと見る長崎県北部中、最大級の大サザンカです。樹齢約250年で幹まわりは1m80cm、高さは10m以上にも!毎年白い花を咲かせ、実から取れる油は潜伏キリシタンの生活の一部を支えたともいわれており、佐世保市天然記念物に指定されています。
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興禅寺
「カトリックの島」というイメージが大きい「黒島」ですが、本村(ほんむら)地区には寺院があります。曹洞宗興禅寺(そうとうしゅうこうぜんじ)といい、黒島土地開拓により急激な人口増加に伴って1803年に造られました。多くの潜伏キリシタンを檀家として抱えることで幕府の厳しい管理を逃れ、人々の手助けとなったと言われています。
古来からの信仰との共存「野崎島の集落跡」
佐世保港から約3時間のゆったりとした船旅を経て到着するのは、五島列島の北に位置する「小値賀(おぢか)島」。人口約2,500人、懐かしい日本の原風景が残る島として「日本で最も美しい村」に選ばれています。「小値賀島」の約2km東に位置するのが「野崎島」です。 ここはもともと神道の聖地とされていましたが、江戸時代後期に潜伏キリシタンが数多く移住。木造の「野首(のくび)教会」を立てるなど、独自に信仰を続けた集落の遺跡です。最盛期には約650人が暮らしていましたが過疎化が進み、1966年、1971年と立て続けに2つのキリシタン集落は廃村となりました。宿泊関係者以外はほぼ無人の島ですが、島内全域にはニホンジカ約400頭をはじめ、希少な動植物の生息地でもあり、ありのままの自然を体感することができます。
霊地そのものである野崎島
「野崎島」の海域は、遣唐使船などが行き交う海上交通の要衡でした。そして、野崎集落の人々の間では神道が信仰され、島には8世紀に海域を挟み込むように分けて祀られた社の一つ、沖ノ神嶋神社がありました。野崎島は五島列島一円に暮らす神道信仰者にとっては、霊地そのものだったのです。江戸時代後期からは、長崎外海(そとめ)地方から迫害を逃れた潜伏キリシタンが移り住み、古来からの神道信仰と共存しながらキリスト教を受け継いでいきました。解禁後はカトリックへと復帰し、2つの集落のそれぞれに教会堂を建て、その伝統は終わりを迎えたのです。
解放と喜びの象徴「旧野首教会」
「野崎島」に建つ「旧野首(のくび)教会」は、「野崎島」のちょうど中心にあたる小高い丘の上に残るレンガ建築の小さな教会です。教会が建つ「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだと言われる集落で、野崎島にかつてあった3つの集落のうち、舟森集落とともに信仰が深かった地域とされています。集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、力を合わせて費用を捻出し、数年をかけて建てた旧野首教会。禁教の時代に厳しい弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、長年の苦難を耐え抜き信仰の自由を手に入れた人々の、抑圧からの解放と喜びを象徴する貴重な建築物といえるでしょう。
教会を見学するには?
教会堂は「大切な祈りの場」。見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。
●堂内では帽子を脱いで静かに拝観してください。
●堂内にある物にはふれないでください。
●柵内、内陣(祭壇域)には入らないでください。
●堂内での飲食、飲酒、喫煙は厳禁です。
●堂内の写真撮影は禁止です。
●教会行事(ミサや冠婚葬祭など)が行われているときは見学は避けましょう。
●教会堂見学への感謝の気持ちは、教会堂保存のための寄付として設置してある献金箱へお願いします。
世界遺産エリア内の教会見学は事前連絡を。ただし、大浦天主堂の見学の場合は事前の連絡は必要ありません。
対象となる教会は下記の9つの教会です。
お申込み
■「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」が受付窓口の教会堂
黒島天主堂(佐世保市) 﨑津教会堂(天草市) 出津教会堂(長崎市) 大野教会堂(長崎市) 頭ヶ島天主堂(新上五島町) 旧五輪教会堂(五島市) 江上天主堂(五島市) 田平天主堂(平戸市)
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」 (長崎ながさきの教会群インフォメーションセンター)
ホームページ http://kyoukaigun.jp/ ※ホームページでも申込みができます
電話番号 095-823-7650(受付時間 9:30〜17:30) 〒850-0862 長崎市出島町1番1号(出島ワーフ2階)
■「おぢかアイランドツーリズム」が受付窓口の教会堂
旧野首教会
「おぢかアイランドツーリズム」※お問い合わせは電話のみ 電話番号 0959-56-2646(受付時間 9:00〜18:00)
〒857-4701 北松浦郡小値賀町笛吹郷2791-13(小値賀港ターミナル内)