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ともに音を奏で、寄り添う「音食亭Brownie」店主・三國隆さん-1

ともに音を奏で、寄り添う「音食亭Brownie」店主・三國隆さん


※音食亭Brownieは2024年4月20日をもって閉店しました。


真っ白な壁に、ミントグリーンの扉。まるでカフェのようなお店の前を通ると、かすかにドラムの音色が流れてきます。

―「いらっしゃい
 

温かい笑顔で迎え入れてくれたのは、「音食亭Brownie」のマスター・三國隆さん。
ドラム奏者であり、月に一回のジャズセッションライブをお店で開催するなど、佐世保の音楽シーンには欠かせない人物です。

三國さんは、世界最高峰の音楽賞「グラミー賞」を二度に渡り受賞したドラマー・小川慶太さんの師匠でもあります。
彼の周りには、小川さんをはじめ多くの佐世保のミュージシャンたちが集い、音を奏で、笑いあい、夢を語ってきました。

―「最初はね、ここでライブをする予定なかったの。だって狭いでしょ。だけど、お客さんに言われて、思い切ってやったらすごく楽しくて。音や、聴いてるお客さんのレスポンスがダイレクトに伝わってくる。そこからは、ミュージシャン主催のアンプラグドショーをやったり、飛び入り参加OKのジャズセッションをやったり。初対面なんて関係なくて、ホント楽しいんだよ

そんなミュージシャンたちの憩いの場となっているこのお店の名前は、音楽の「音」食事の「食」そして、三國さんが敬愛するアメリカのジャズトランペット奏者クリフォード・ブラウンの愛称「Brownie」が由来です。

―「お菓子のブラウニーみたいで可愛いよね」と三國さんは、店頭の看板を彩るラスタカラーのアーチのように陽気に微笑みました。

佐賀から佐世保へ音楽の最先端を知る

三國さんは佐賀県有田町出身。実家はぶどう農家をやっていました。
初めてドラムにふれたのは中学生の頃で、手作りのスティックを手に、コンテナをドラム代わりにして一年間ずっと練習に明け暮れていたそう。
高校入学のお祝いに、両親からドラムセットをプレゼントされ、さらに向上心に火が付き、勉強の合間を縫ってひたすら腕を磨きました。

「ロックは不良の音楽」という風潮だったり、“ドラ息子”なんて呼ばれたってなんのその。
三國さんは他校まで足を運びメンバーをかき集めてバンドを結成し、会社や病院などさまざまなステージでの演奏経験を経てギャラを貰えるまでに。
楽器の運搬もはじめは実家のリヤカー、トラクターから車持ちの友人へとグレードアップ。
夏から秋にかけては毎週どこかに演奏に出掛ける生活だったそう。女子にも、けっこうモテたそうですよ。

高校卒業後は、ひとまず食べていくため就職。

―「インターネットも普及していなかったから、どうすればプロになれるのかがわからなかった。TVは別世界だったし。就職はとある大手製菓メーカーだったけど、面接のときに好きなチョコレートを言ってアピールしようとしたら全部違うメーカーのやつで。それでもなぜか受かった。大阪だからギャグとして受け入れてもらえたのかな(笑)

与えられた仕事を精一杯こなしていた三國さんでしたが、父親の大けがをきっかけに実家の有田町へと戻ることになりました。

―「でも、やっぱり音楽がしたい」。

家業を手伝いながらも、ひそかに抱いていたのはアメリカや東京の音楽学校への夢。残念ながら叶うことはありませんでしたが、25歳のとき縁があり、佐世保の早岐で初めて店を持ちます。さらに音楽活動と並行する形で喫茶店もオープン。結婚し子どもが産まれても、不思議なことに音楽との縁は切れることはありませんでした。父親の逝去をきっかけにぶどう農業からは離れることになりましたが、さまざまな縁が重なり「音食亭Brownie」のオープンに至りました。

有田から佐世保へと拠点を移した三國さん。まず感じたギャップは”まち”。楽器店が身近にあり、若いプレーヤーたちがあちこちで演奏を披露するという活気に満ち溢れた光景は、当時の有田ではあまり見られないものでした。

外国人の多さもそのギャップに拍車をかけました。米軍向けラジオ「FEN」から流れる最先端の洋楽を聴いて覚え、東京大阪で演奏したところまだその曲は日本に入っていませんでした。また、当時は聴いた曲を譜面に書き写す「写譜屋」がいたそう。洋楽に関して、佐世保は最先端だと実感した瞬間でした。ジャズ系のクラブも軒を連ね、夜は大いに賑わっていました。

米軍基地がもたらしたアメリカ文化が、日本最西端の小さなまち・佐世保にもたらした音楽の波。現在の佐世保音楽シーンにも繋がるエピソードです。

スープカレーちゃんぽんは人との出会いを生む味

「音食亭Brownie」には、看板メニュー「トマトスープカレーちゃんぽん」があります。それを目当てにわざわざ県外からお客さんが訪れるほど。たまたま残ったカレー粉をちゃんぽんに入れてみたことがきっかけで誕生したひらめきの逸品ですが、改良を重ね、小串トマトなどの地元食材を使ったご当地メニューに変貌を遂げました。

こだわり抜いたその味は多くの人々を魅了しました。中には、病気で亡くなる間際、「食べたい」とメッセージで伝えてくれた人も。

―「その人と私の共通の友人に、スープカレーちゃんぽんを届けてもらったことがある。作ってパックに入れて、向こうで温めれば食べられる状態にして。人生の最後に食べたい味だと言ってもらえて、本当に嬉しかった」と三國さんは涙を滲ませます。

彼の人柄と同じく温かいその一杯は、人との出会いを生み出しました。それはまるで、いろんな音色が重なり合った音楽のようにも思えました。

―「ところでさ、今度お店でサンバの演奏やってみるんだけど来てみない?

三國さんは、ひそかにいま、ラテン音楽を広めようとしているとのこと。

―「本当に、誰でもOKだから。分かりやすいように楽譜も用意したの! 音楽のこと全然知らなくても大丈夫。とりあえず楽器持ってみるところからやってみたらいい。パーカッション系多めで、お店にある色んな楽器使っても良いし、手拍子だけでも良いから、ブラジル音楽の基本的なことをやってみるってわけ。リズムにあわせて体を揺らしているだけでも本当に楽しいんだよ

そんな三國さんの遊び心に、小川慶太さんのように惹きれこまれた若者たちも沢山いるんだろうなと感じました。

―「佐世保でも、音楽目指してる子がいるのは嬉しい。迷うことも多いと思うけど、好きならぜひやるべき。正解不正解はないから! 必要だったら教えたいとも思うし、とにかく楽しいと思う方へ進んでほしい。彼らがいつでも気軽に来れるような場所でもありたいよね。いつでも大歓迎よ」と微笑みます。

最後に、佐世保の音楽の魅力について尋ねると……

―「とにかく自由。フォーク、ロック、ジャズ、いろんなジャンルがあるけど壁があまりない気がするね。あとは何より、佐世保って、なんか良いっさ。コレという理由はないんだけど、言葉にしようとすると難しいんだけど、良いまちだと思う。音楽を通じてもそれを感じるよ

人と音楽とのセッションを通じ、”なんとなく良いまちだな”と思えるしあわせ。そんな自由でささやかなしあわせを、「音食亭Brownie」は教えてくれるのです。


 

音色亭Brownie
※2024年4月20日をもって閉店しました。
 

 

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