佐世保鎮守府レガシートリップ
「佐世保鎮守府」があったからこそ、今の佐世保がある。アートフォトでめぐる佐世保レガシートリップ
はじめに
明治から昭和にかけて、近代国家として西欧列強に並ぶべく、日本は国家プロジェクトにより4つの軍港[横須賀(神奈川県)・呉(広島県)・佐世保(長崎県)・舞鶴(京都府)]を開きました。今では考えられないような予算を投入して「鎮守府」とし、海の防衛力を強化したその場所のひとつが、いまも海軍さんの街として親しまれている「佐世保」です。
今回は、日本遺産にも認定されたこの「佐世保鎮守府」を写真家・岩永明男さんがめぐり、アートフォトを撮ってくれました。
今回のアートフォトを撮ってくれた写真家・岩永明男さん
1980年、佐賀県唐津市生まれの岩永さんは、東日本大震災をきっかけに、今後の人生を考え始める。「自分の好きな事を仕事にする」という思いから、写真家・宮澤正明氏に師事、2016年独立。アートフォト作品の展示やイベントの撮影、ファッション撮影、起業家のプロフィール写真などを主な生業としている。
今回、撮影に使用したのは、世界初の1億5,100万画素センサーを搭載したPhase OneXTカメラシステム。日本にも数台しかない数百万円クラスの貴重な機材で撮影された。
岩永さんの被写体への視点と解釈をその機能に注ぎ込み、本記事の作品たちが完成。雲の動きや水の流れ、建物の細かな質感までを捉えた繊細な描写で表現されている。
写真家・岩永明男さんのアートフォト
今回、写真家の岩永明男さんが、そんな被写体が見てきた歴史と対峙し、シャッターを切ってくれました。ここでは岩永さんの目から見た「佐世保鎮守府」の息遣いをご紹介していきたいと思います。
~事業規模を思い知る編~
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設
まだ国内に鉄筋コンクリートの構造物が広く普及する以前の約100年前から現存する巨大な3本の無線塔。
3本の塔の中心部には電信室が設置されています。
無線塔は1m尺の板をつなげた型枠にコンクリートを流し込み1段ずつ打設して建造された、当時の日本の技術力の高さを象徴する建造物です。
遠くから見ても、真下から見てもただただその技術に驚かされるばかりなのですが、役目を終えた今も、佐世保周辺を見守り続けるその姿に、静かな意思があるように思えてきます。
今回持ち込んだカメラは通常のものより解像度が高いため(iPhone13の約12倍)、現像の際に非常に細かな部分までくっきりと見ることができる。そのため、無線塔のコンクリート壁は、型枠を使って作られた際にできた凹凸までもがハッキリと見ることができた。現場でも感じたが、帰って改めて見てみて本当にその事実に感動したので、その凹凸が分かりやすいように、モノクロでの表現とした。
旧佐世保鎮守府防空指揮所跡
海上自衛隊佐世保総監部の敷地内にある、巨大な地下施設。戦後火災に遭ってしまったため、設備こそ残っていませんが、当時海軍でも一部の人しか知らない最新技術を集結させた作戦を指揮する場所でした。西洋建築を思わせる円柱や市松模様のトイレのタイル、戦時中でありながら冷暖房完備の施設であったことなど、目を閉じると、スパイ映画顔負けの設えが想起されます。
特に興奮したのはトイレ。水洗であること、階級別とはいえ女性用のトイレがあったこと、そして妙に近代的であったことなど、欧米列強に負けないという気概をそこに感じた。
※この「旧佐世保鎮守府防空指揮所跡」を見学できるツアー「海軍さんの散歩道」が、今年度中に再開見込みです。ぜひ下記リンク先をご確認ください。
丸出山堡塁観測所跡
軍港防備のために設けられた陸軍砲台。その砲台への指示を的確にするための観測所として、全国的にも珍しく現存する場所です。
広く九十九島を見渡すことができ、外敵の侵入に備えて息を潜めながら任務についていた陸軍兵士と同じ目線で海を眺めることができます。
明治期に造られたものとは到底思えないしっかりとした造りであり、臨戦に至ることなく残ったこの鉄の建物の中から、当時想像もできなかったであろう現在の発展した佐世保市を想うと、不思議な気持ちになります。
小首堡塁跡
砲台任務に着く兵士の休憩所となった場所が、手付かずのまま残っています。晴れた日なら良いのですが、曇りや雨の日に訪れると少し寒気を憶えてしまうような、夏でもひんやりとした空気の流れる独特の場所です。
不幸中の幸いで戦いを経験せずに終わったため、自然と融合しながらいまも佇んでいます。
~明治・大正・昭和の礎を間近で体感編~
SSK(佐世保重工業株式会社)
佐世保駅から九十九島方面へ車を走らせると、必ず目に留まる巨大なクレーン。通称「SSK(設立当初の社名である佐世保船舶工業の頭文字からとられています)」を代表する現役の250トンのジャイアント・カンチレバー・クレーンで、国内に3台、世界でも10台しか残っていない貴重なものです。
100年以上前から今も現役で稼働しており、竣工当時は海軍工廠の主力クレーンとして活躍していました。
海軍工廠時代、そのクレーンから西に並ぶドック群で、これまでに多くの軍艦が建造されてきました。当時の風景を想像してみると、海を守る大切な艦船を生み出し、点検や修理の度に迎え入れてきた母なる懐の深さを感じます。
旧佐世保海兵団跡
米軍基地の公園・ニミッツパークと佐世保公園のちょうど境目のあたりにある、海外ドラマに出てきそうな味わい深いこの建物は、佐世保市内の中心地にあるにも関わらず、まだあまり認識されていません。
この一帯は、周辺に様々な海軍の施設があり、水兵さんたちの教育訓練、軍港警備、乗組員の補充などを行う組織「海兵団」が使用していた場所だそうです。
しっかりしたレンガ造りの趣に、西欧への強いまなざしを感じます。
SASEBO軍港クルーズ
よその町では存在感が全面に出る軍艦が、佐世保では市内施設との近さもあり、街並みと一体となって溶け合っている。これこそが、佐世保ならではの姿なのだとこの作品を見るたびに思う
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
第一次世界大戦中、連合国側として参戦した日本軍の功績がイギリス国王から称えられ、勲章が授与されました。この活躍を記念して建てられた「凱旋記念館」は、西欧列強と肩を並べつつあった日本という国の誇りの象徴だったのかもしれません。
海軍の催事などに使用されていたこの建物は、現在では「佐世保市民文化ホール」として広く市民に活用されており、改めて軍港都市・佐世保の底力を見る想いです。
西九州倉庫(株)前畑1号倉庫(旧第五水雷庫)
魚雷の格納庫として建造された、佐世保最大の倉庫。
佐世保で発展した鉄筋コンクリート技術の成熟が産んだ、超巨大建造物です。
近くで見ても劣化を感じるどころかまだまだ現役そのもの。堅牢な佇まいと表面を覆う砂岩の肌質は、何時間眺めていても飽きることのない質実剛健さを感じさせます。
写真家・岩永明男さんに撮影レビューや撮影道中を動画でご紹介していただきました
~ 撮影レビュー ~
作品のテーマや撮影秘話、そして写真家・岩永明男さんから見た佐世保鎮守府のお話です。
~ 撮影道中 ~
撮影道中は4編に分けてご紹介しております。
下記ページからご覧ください。
Column
石岳展望台から臨むマジックアワー(撮影:岩永明男)
この海に、海外の船が来ていたら。
佐世保の歴史には、軍港都市としての発展と戦後復興に織り交ぜられた西欧への憧憬が色濃く関わっています。
国家プロジェクトとして築き上げられた都市文化は、今現在、佐世保を訪れる私たちの目の前にもその息遣いを潜めているのだと理解できます。
大きな戦禍に見舞われることなく残ったこの九十九島の海も、もし万が一、外敵に攻め込まれていたら、同じ景色ではなかったかもしれませんし、もしかするとこの場所で自分がこの景色を見ることもなかったのかもしれません。
日々、当たり前のように見ている景色の中に、先人たちの希望や苦悩、努力と叡智が詰め込まれていることに改めて感謝しながら、また次の旅に出かけたいと思います。
最後に、今回取材の道中に頂いたグルメもご紹介します。
海上自衛隊ゆかりの食べ物やアメリカの影響を色濃く受けているものなど、どれも佐世保鎮守府の歴史を知ることで、さらにその魅力を感じることができると思いますよ。
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