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海風旅ブログ
九十九島と歴史遺産
明治22(1889)年7月1日、日本の最も西を守る佐世保鎮守府が開庁しました。ことしはそれからちょうど130 年という節目の年に当たります。 この佐世保鎮守府と九十九島には深い関係があります。
夕景が有名な船越展望所から九十九島を眺めたとき、潜水艦のような姿が印象的なオジカ瀬が見えます。 この島に行ったことのある人はあまりいないと思いますが、島の岩礁にコンクリート製の円柱が立っています。
何とも不思議な構造物ですが、実は佐世保鎮守府を守るために造られた旧陸軍佐世保要塞の施設で「規正標柱」と呼ばれるものです。 防衛大学校図書館に所蔵されている史料によると、明治34 年に最初に造られ、44年の改築を経て現在の姿になっていることが分かりました。
この規正標柱とは、敵艦との距離を測る測遠機を砲台に設置する際に正しく据えられているか確認するための施設です。同じ施設はオジカ瀬のさらに外側の浮瀬にもあり、俵ヶ浦の 丸出山堡塁と日野町の牽牛崎堡塁の測遠機の据え付けに用いられました。両堡塁に装備された28 センチ榴弾砲は九十九島全体を射程に収めており、 敵艦がどこを通っても射撃できるようになっていました。つまり、九十九島全体が一つの巨大兵器として機能するように各施設が配置されていたのです。
そのため要塞地帯法という法律で九十九島や沿岸の開発、写真撮影はおろか漁業活動まで厳しく制限され、手付かずのまま残されることになりました。私たちが楽しんでいる九十九島の美しい姿は佐世保鎮守府と佐世保要塞によって守られたと言えるのです。
(文:佐世保市文化財課 川内野 篤さん)