海風の国とは?
佐世保港 俵ヶ浦半島/高後崎/針尾島
理に適い、情に適った東郷さんの佐世保港
佐世保鎮守府開庁とともに一躍トップスターとなった佐世保には、当時、国内屈指の技術者たちが集結していました。彼らは近代建築の金字塔を次々と打ち立て、それらは100年経った今も現存し、佐世保の日常にとけ込んでいます。日本で唯一無二の巨大コンクリートの「針尾無線塔」や俵ヶ浦半島に残る砲台跡など、当時の空気がそのまま残っています。
明治期の日本人の気高き思いが留まる俵ヶ浦半島
小高い山々が連なり、懐に長く深い湾を抱えた俵ヶ浦半島。佐世保港はこの半島の懐奥深い位置にあります。明治期、入江の一部を埋め立て、日本の西海の守りを担う鎮守府を開庁。この鎮守府と戦艦の防御の要が、ここ俵ヶ浦にあったのです。今もここには100年を経過した砲台群が残っており、そこだけが時を止めたかのようなひっそりとした空気に包まれています。
針尾島で日本で唯一無二の近代建築に出会える
西海橋へ向かう時、否応なしに目に飛び込んでくる三本の尖塔。これはあの「ニイタカヤマノボレ一二○八の電信を発信したと伝えられる「針尾無線塔」です。日本人による設計、コンクリート技術による初期の高層建造物で、大正期のものとは思えない頑丈さと美しさが備わっていることに感動します。港を取り巻くように「針尾送信所」や「弾薬庫」などの建造物も存在し、旧海軍時代の佐世保の生き証人に出会うことができます。